The blog of Kyotrain

鐵路(海外) / 模型(1/45, 1/80) / 飛機 / 建築 / 書体 / 演劇 / 自転車 / 月刊とれいんNo.467, 476 / 筑駒→某医

再びコルダイ国境にやってきました。
IMG_0167
さらばキルギス,また会う日まで。
相変わらずカザフスタンのドライバーはスマホ片手に時速160kmとかで爆走するのですが,よく観察していると,仲間のドライバー同士でパトカーの目撃情報とかを融通してる模様。何もないところで急に減速するとパトカーがいたりするのですごいなあと思いながら見てました。

車は一路アルマトイへ。
IMG_0171
爆走のおかげでアルマトイには日没前に到着したので,まずはロシア正教会を訪ねました。
この教会は,大祖国戦争の犠牲者を称える28人のパンフィロフ戦士公園の中にあります。
IMG_0177
ソ連圏おなじみの永遠の火がここにもあります。
戦勝を祝う場所だからか,心なしかこの公園はロシア人の比率が高いように思われました。
アルマトイには現在も多くのロシア人が居住しており,ロシア語の使用頻度も高いと言われています。ソ連の計画都市らしい風情が今も色濃く残っており,ロシアの一地方都市のようにすら感じられました。

アルマトイ着後,レストランで夕食を取り,アルマトイ発着のキルギス4日間ツアーは無事終わりました。

アルマトイを歩く

翌1月3日。
ここからが本題で,一度は来てみたかった中央アジアの大都市アルマトイ。
ところでAlmaはリンゴという意味であるように,この街はかつてリンゴの産地として知られていました。今でもスーパーにはリンゴが山積みになっています。
夕方ヌルスルタンに戻るフライトの時間まで,このリンゴ香る街を駆け足で堪能することにしました。
IMG_0197
そんなリンゴの街が生んだ英雄の慰霊碑は,一度訪ねておきたいと思っていました。
ソチ五輪銅メダルで知られるフィギュアスケート選手のデニス・テンは,この場所で暴漢に襲われ亡くなりました。
世界中から彼を偲んでファンが訪れているようです。
IMG_0201
そこから程近いこの広場は,カザフ人の若者たちによる暴動,いわゆるアルマアタ事件が起こった場所です。
現在は独立記念碑が空高くそびえています(それにしても空が明るくなるのが遅い…) 

ここはカザフ民族主義の象徴的な場所であるだけではなく,この事件を契機としてヌルスルタン・ナザルバエフがカザフ共産党の指導者となり,今のカザフスタンが誕生するきっかけともなりました。
IMG_0224
続いて訪れたこの大きな建物。
ソ連時代から存在する共和国宮殿という名前のホールです。
IMG_0227
1978年,まさにこの場所でWHO総会が開かれ,プライマリ・ヘルスケアを提唱するアルマアタ宣言が採択されました。
この碑文は建物の脇に控えめに貼られているものでしたが,見つけたときはロンドンのコレラ井戸に勝るとも劣らない感激でした。これを見るためにアルマトイに来たと言っても過言ではない。
IMG_0234
お昼時になったので,目的のレストランに向かうためアバイ駅から地下鉄に乗車。
アルマトイメトロは2011年に開業したばかりの新しい地下鉄ですが,設計思想はソ連時代そのもの。
IMG_0241
例によってめちゃくちゃ深いところにあり,エスカレーターで延々と下っていきます。
IMG_0279
ホームの雰囲気もモスクワに近いでしょうか。
ホームには美しい装飾が施され,天井からはシャンデリアが吊るされています。
IMG_0268
駅はソ連風なのに,車両は韓国の現代ロテム製だったりします。
ここカザフスタンの地でトングリのいとこに乗るのは違和感しかありません。
しかし,カザフスタンにはソ連時代の民族強制移住によって多くの朝鮮系住民が暮らしていることから,意外にも韓国とカザフスタンには経済的,文化的に強い結びつきがあります。
韓国製の車両はその緊密な関係を反映しているのかなー,と思ったりもしました。
IMG_0254
車内は日系の車両にも似ていますが,皆さんドアを見てください。
IMG_0250
ドアのステンレス地に模様が入っているのを見れば韓国のDNAを感じずにはいられません(韓国行ったことある人なら分かってくれると思う)。
はじめてソウルを訪れたときのことを思い出して懐かしくなりました。
IMG_0296
で,アルマトイメトロにはICカードがあって,機械で買うことができるのですが,画面にカザフ語とロシア語しかなく困っていたら,手荷物検査にところにいた若い警官が手伝ってくれました。
共産圏の手荷物検査といえば怖いイメージか無愛想なイメージしかないので,とても予想外でありがたく感じましたね。

ということで,昼飯は「ロデム」なる韓国料理屋にやってきました。
IMG_0300
ちゃんとお通しの小皿がいっぱい出てきました。
カザフスタンでキムチを食べながら,この国の韓人が辿ってきた歴史に思いを馳せます。
IMG_0301
▲普通にウマい石焼ビビンバ。値段はカザフスタンの物価を考慮するとかなり高めだが1000円いかない程度。

店のおばちゃんに韓国語で話しかけてみるも,通じないようでした。でも韓国料理屋を開いていることだけでも,自分のルーツを大切にされていることが分かります。
韓人日報なる現地のハングル新聞が置いてあったので一部もらい,おばちゃんに「ありがとう」と日本語で言われて店を後にしました。
カザフスタンに来た韓国人がよく訪れる店のようですが,どうして日本人だと分かったのでしょうか。

***

再びアバイ駅に戻ってきて,ロープウェイでコクトベに向かいます。
IMG_0313
ここは大都市アルマトイを一望できる丘で,外国人よりカザフ人にとって憩いの場所であるようです。
観覧車やジェットコースター,テレビ塔などがありますが,土産物屋が何軒か並んでいたので小物を購入しました。
IMG_0323
市街地のすぐ向こうに,天山山脈の支脈であるアラタウ山脈が姿を見せています。
アルマトイに来たならば,必ず訪ねてほしい絶景です。
IMG_0339
さて,丘を降りると,結構いい時間。
地下鉄とバスを乗り継いで行くとフライトに間に合わないのでタクシーを探そうと,道に手を出して待ってたら怪しいボロ車がやってきました。
アエロポルトと頼んで相場の値段を言うとOKしてくれたので半信半疑で乗りました。途中で客乗せたまま給油したりしてましたが,無事空港まで送ってくれました。
この街はタクシーがそんなに多くないように思っていたのですが,こういう闇タクが相当多いのかもしれません。しかも闇タクの方が安いでしょうから,どちらかというと市民の足になっているのも闇の方なのかもしれません。
IMG_0355
アルマトイ国際空港からエア・アスタナでヌルスルタンまで。
エア・アスタナはカザフスタン唯一のまともな航空会社と言われるだけあって,機材はきれいで,モニター付き,軽食まで出ました。
IMG_0359
定刻通りヌルスルタンに到着。外を散策したりして時間を潰しました。
相変わらず緯度のせいでアルマトイやキルギスよりずっと寒いですね。

出国審査ではコルダイ国境を通ったのか?と聞かれ,「少し待ってて」と言って席を外されました。あとから調べても全くなにかを疑われるような危ない国境ではないし,一体何があったのか。これまで色々あちこち行ってるので禁忌の国があったのかどうか分かりませんが…。
待たされてこちらの立場が上になったので「コルダイ国境は危ないんですかねえ?」とか色々聞いてみたのですが笑顔でスルーされました。結局分からず。
そして再びオンボロSCAT航空で日本へ帰国。

おわりに

無事日本に着いたので,まずは世話になったキルギスのガイドさんにお礼のメッセージを打っておくなど。
IMG_9656
キルギスにはウズベキスタンは既に行ったことがあるような,舌が肥えた日本人が来るらしく,今はニッチな需要と言わざるを得ませんが,観光ポテンシャルは高いのでこれから日本人はどんどん増えていくことでしょう。キルギス人の日本人に対する温かいおもてなしも,非常に印象に残りました。
キルギスはサッカーの試合くらいでしか日本では名前が出ませんが,どことなく我々にも似ているキルギス人の生き様を見に多くの日本人がキルギスを訪れてほしいなと思いました。
IMG_9558
カザフスタンについては,これまでソウル経由での訪問が定番でしたが,命の覚悟があるなら首都ヌルスルタンまで乗り継ぎなしで行けるようになりました。
カザフスタン共和国の独立の象徴でもある新首都ヌルスルタン,古い文化やソ連時代の残り香が漂う旧首都アルマトイ,どちらもそれぞれ魅力があり,どちらもまた,カザフスタンの姿なのだと思います。

本来中央アジアには国民国家の概念はなく,ソ連が勝手に引いた国境線をそのまま引き継ぐ形で5つの国に分かれています。
そのような歴史的経緯を頭に置きつつ,ソ連崩壊後はそれぞれの道を歩み始めた中央アジアの国々を訪ね歩くのも面白いかと思います。筆者もトルクメニスタンには行きたいなとかねがね思っています。

好天に恵まれたキルギス3日目

2020年元旦。
カラコルを発ち,イシククル湖の南岸を走っていきます。
IMG_9835
まず訪ねたのは温泉保養地として知られるジェティ・オグズ渓谷へ。
これまで曇りか雪が続いていましたが,ありがたいことに元日は晴れ,初日の出を拝むことができました。
IMG_9811
ジェティ・オグズというのはキルギス語で7頭の牛という意味で,この赤い岩から由来しています。何度数えても7頭より多いのは気にしてはいけません。
ここはかの宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンも泊まったとかで,古い山小屋やホステルがいくつか建っていました。寂れ具合がちょっと気に入りましたね。
IMG_9847
村には牛が放牧されています。
キルギスではユーラシア連合に加盟したことから牛の個体登録が義務付けられ,耳にタグが付けられ疾病罹患歴などを管理するようになった,とガイドさんが言ってました。
IMG_9858
この日は本当にいい天気で,車からも遠くの天山山脈を眺められるようになりました。
この国は国土の大半が山で,実はイシククル湖も標高1600mくらいのところにあります。ガイドさんは「キルギスは中央アジアのスイス」と言っていました。
隣国カザフスタンとは言語的,文化的に似ていながらも,この標高の差こそがキルギスをキルギスたらしめているのかな,と思いましたね。
IMG_9876
イシククル湖畔を爆走して,スカスカ渓谷にやってきました。
IMG_9888
ガイドさんに連れられ岩肌を登っていくと,同じ地球とは思えない絶景が現れました。
途中に検問があって入山料を払わないといけないところ,誰もおらず素通りでした。いわく正月だから警官も休んでるのでは?とか何とか。適当さ加減が好きです。
IMG_9931
遠くには真っ青なイシククル湖が見えています。
ガイドさんはこういうポテンシャルの高いキルギスの観光地を日本人に売り込んでいきたいと言ってましたが,こんな絶景を独り占めできるのもまたキルギスの魅力なんじゃないかなと思いました。

というか某あるきかたにも載ってるし知られていないということはなくて,如何せんキルギスは観光業が未発達で,チャーターした車でなければ来られないような観光地ばっかりなので,バックパッカーだと来ることができないのかもしれません。
もう少し観光客の移動手段ができたらいいんですけどね…といったことはガイドさんに伝えた記憶があります。いや,観光客が来ないようなところだからこそ魅力的っていうのもあるんですけどね。


続いて,ボコンバェフ村へ移動。
IMG_9995
馬に乗ります。
乗馬体験はいつぞやのモンゴル以来ですが,今回は手綱握って自分一人で馬をコントロールさせてもらいました。
馬は乗る人の性格を見抜くので自信を持って乗ることが大切だと言われ,なんかよく分からないので上から日本の演歌を歌って聞かせました。
IMG_9985
普通に車も通る村の道路を馬で歩くというのはなかなか非日常体験でした。
道路脇で車を直してる若者とかに話しかけられたりとかして楽しかったです。こんな田舎の小さな村でも,若干ロシア語だけでなく英語も分かる人がいるもんですね。
IMG_0009
車は一路ビシュケクに向かい,途中のロードサイドで軽食。
高速道路でさえも両側は山々が連なっていて,本当に山の多い国だと気付かされます。

ところで,全般的にキルギスは道路状態が悪く,どこかしら汚水だの雪解け水だので汚れているので,少し走ると車が真っ黒になります。キルギス人に洗車の意思がないわけではなく,洗ったところですぐ汚れるので冬の間は放置する人が多いらしいです。
IMG_0033
カザフスタンとの国境の街,トクマクが近づいてくると川の向こう側のカザフスタンが目と鼻の先に見えるようになります。
ドライバーさんに言って車を途中で止めてもらいました。

首都ビシュケクへ

ビシュケクに着いたのは日が暮れてからでした。
IMG_0056
今回のツアー全般的にそうなんですが,一年で最も日が短い時期なのでitineraryに書かれている場所を全て回る前に日が暮れてたんですよね…。
IMG_0083
ここはアラトー広場と呼ばれ,ビシュケクで最も有名な場所になります。
英雄マナスの像を中心として,巨大な国旗掲揚塔や国立博物館(ずっと改修してるらしい)があります。
IMG_0067
ちょうど国旗掲揚塔の下では衛兵の交代が行われており,いろんな国で見たような既視感のある儀式を見ることができました。
共産圏なので,ちゃんとガチョウ足行進ですね。あの歩き方,腰や足を痛めるんじゃないかという気しかしません…。
IMG_0093
で,国立博物館の裏にあるのがレーニン像。
マナス像があった場所にかつて建っていたものです。
壊さずに移したんですね,と言ったら「今でもレーニンは解放してくれた恩人というイメージを持ってるキルギス人が多いです」とのこと。もちろんスターリンは別っぽいですが…。
IMG_0097
アラトー広場のすぐ近くには遊園地があります。
元日ということで人は少なめでしたが,観覧車は動いてました。ビシュケクにはタワーがないので観覧車に乗って空から街を眺めてみることに。
IMG_0106
(隙間が空いてて寒かったです)
それにしても旧ソ連圏の都市,どこでも街の中心部に謎の遊園地ありますよね。わかります…??


宿はキルギス人しか泊まってなさそうなゲストハウスでした。
リビングで宿のおばちゃんにお茶をもらうチャレンジに成功して,茶を飲みながらくつろいでたら,別の客人に英語で話しかけられました。いわく仕事でハンガリーとビシュケクを往復しているキルギス人らしく,なるほど英語をお話しになるわけですね。
キルギス観光の話で盛り上がったのですが,主要な観光地はだいたいご存知のようで,カラコルで見たドンガンモスクの話をしたら「あれは中国から’迫害された’ムスリムが建てたんだ」と強調されてました。
カザフスタンにおける反中感情の高まりに関する記事をこの間読みましたが,キルギスではどうなんでしょう。

***

翌朝。
1月2日ということで4日間に及んだキルギスツアー最終日となります。
IMG_0126
まずは土産を探しにガイドさんとビシュケクで最も大きいオシュ・バザールが行ったんですが,正月なので殆ど空いてませんでした。
このオシュ・バザール,窃盗や詐欺が多いことで悪名高いところでして,私もツイッターで複数回の被害報告を見たことがありますし,日本人が多いビシュケクの宿では「オシュ・バザールに行かないでください」といった警告が貼ってあるところもあるらしいです。
ニセ警官が職質のような形で金を盗むor騙し取るパターンが多いとか。
IMG_0153
こちらは戦勝記念碑。
ソ連あるあるで永遠の火が灯っていますが,ここの特徴はゲルの形状を模していること。
IMG_0151
上にはユルトの天井が描かれています。
キルギスの国旗は,このユルトの天井の格子と太陽をかたどっているのですが,なんとなく戦闘力の高い日の丸といった感じで私は非常に好きです。
IMG_0156
キルギス最後の食事はウイグル料理店でラグマンを。
ぶっちゃけビシュケクはイシククル湖畔の絶景に比べると観光としては規模も内容も微妙ですが,意外にもロシア人,朝鮮人,ウイグル人など多くの民族が入り混じっていたり,独立以降は様々な新しい文化も入ってきていることもあり,多様性のある社会を見ることができました。これはこれで面白いです。

追記:
土産ですが,チュム百貨店の5階に店が集中していたので,そこで色々買いました。品揃え多いし,謎にディスカウントも勧めてくるのでオススメします。
私はゲルのマトリョーシカを買いました。遊牧民の国でありソ連を通じてロシアの文化が入ってきている,まさにこの国でしか買えない土産かと思いまして。
(続く)

凍てつくカザフスタンを縦断し,アルマトイに到着。
アルマトイ2駅のホームに降り立つと,キルギス人の日本語ガイドさんが出迎えてくれました。
IMG_9627
欲を言えば先頭に行って機関車を撮りたかったところですが,早々に手荷物検査を通って駅を後にします。
ガイドさん「ここでは日本人の評価はすごく高いです。さっき手荷物検査の警官も『旅を楽しんでくださいと通訳して伝えてくれ』って言っていたんです」
ありがたいことです。

はじめてのキルギス

ここからは貸切のセダンで一路キルギスとの国境へ向かいます。
IMG_9640
カザフスタンの高速道路はところどころ建設中で途切れていて,羊も放牧されているような未舗装路を進んでいきます。かと思えば,高速に戻った瞬間ドライバーがスマホ片手に167km/hとかいう意味不明な速度で爆走したりします。
IMG_9644
程なくしてコルダイ国境に到着。
カザフスタンとキルギスは文化や言葉も似ており友好関係にありますが,陸路国境独特の緊張感は日本では味わえないものですから,日本人としてめっちゃ興奮します。
ガイドさんによると,昨年大統領同士が若干険悪になり,国境の検問が一気に厳しくなったらしい(今は元に戻った)。

キルギスは悪路が多いためここでセダンから4WDに乗り換えますが,ガイドさんは一緒に国境を通ります。
日本人向けのキルギス旅行代理店では,空路の都合などからアルマトイを起点とするカザフスタンをセットにしたツアーを基本としていて,キルギスだけでなくカザフスタンのガイド資格も取得するようにしているそうです。
IMG_9648
入国後しばらく走って,昼飯は汁なしのラグマン。
IMG_9656
最初に訪れたのは世界遺産,ブラナの塔。
何もないところにポツンと立っているこの塔は,かつてモスクのミナレットだったと言われています。
つまり,ここにはかつて街があったということ。
シルクロードの中継地として繁栄した時代に思いを馳せます。
IMG_9660
ミナレットの上からは広大な平原を一望できます。
かつてはウズベキスタンのヒヴァのような街並みが眼下にあったのかもしれません。
IMG_9679
近くには石人と呼ばれる顔を掘られた石が点々と並んでいます。
かつては墓石だったとかで,冬の寒さもあって,少し寂しい景色でした。


車は一路,チョンケミン渓谷へ。
非常に景色が綺麗だったのですが,既に日が沈んでいて撮れませんでした。
IMG_9695
ゲストハウスの晩餐はすごいことになってました。
毎日こんな料理を食べているわけではなく,客人が来たときに食卓を埋め尽くすのが歓迎のしるしなのだそう。
当然食べ切れるわけもなく,腹いっぱいになって手が止まると自然と歓談に移っていきます。
ガイドさんが通訳してくれましたが,ゲストハウスのご家族も欧米人を泊めることが多いので英語も多少できる方々でした。

キルギスで年越し

翌朝。12月31日を迎えました。
天気がやや良くないということで行程が変更になり,イシククル湖の南岸ではなく北岸を回って目的地,カラコルに向かうことになりました。
イシククル湖はキルギスが誇る巨大な湖で,景色も綺麗だし,様々な観光遺産が沿岸に集まっています。
IMG_9719
訪れたのは1916年記念碑。
帝政ロシアによって虐殺されたキルギス人の慰霊碑とのこと。
ここキルギスでは,レーニンと共産党はキルギスを帝政ロシアから解放してくれた恩人という意識が強く,今でもソ連時代は肯定的に評価されているらしいです。
場所が変わればソ連に対する認識も全く変わってきますね。
IMG_9735
チョルポン・アタでは古代人の岩絵を見学。
IMG_9739
昼食はキルギスの伝統料理ベシュバルマク。
うどんに羊肉を乗せたような麺料理で,現地人は手で食べるそうです。
これがめっちゃうまかったんですけど,日本でも肉茹でて汁ごとうどんに乗せたらそれっぽくなりそうですよね。
IMG_9751
途中,露天風呂で湯治。ここには昔から治療目的の温泉がいくつかあったらしいです。
脱衣所から風呂までは雪の上を水着一丁で歩かないといけないので凍え死ぬかと思いました。
風呂は物好きな現地人で賑わっていましたが,ここで日本人に会ったのはさすがに驚きましたね。


車はイシククル湖の北岸を進み,一日かけてシルクロードの十字路であるカラコル(旧名ブルジェバリスク)に到着しました。
IMG_9762
これは木造のロシア正教会。
カラコルはロシア系の人口が多く,この聖堂もロシア人のおじいさんが管理していました。
IMG_9766
この東洋風な建物は,実はイスラム教のモスクなのです。
中国から逃げてきたイスラム教の少数民族,回族が建てたとのこと。
もちろん右の塔はミナレットで,上からはアザーンが流れます。

これらロシア正教会とモスクは,この街が様々な民族によって構成されていることを示しています。
IMG_9795
そんな街で年を越すことになりました。
日付が変わる頃に合わせて街の中央公園に行ってみると,次第に人々が集まってきていました。
IMG_9789
ビシュケクやアルマトイのように街じゅうで爆竹が鳴らされ花火が打ち上げられるのを期待していましたが,田舎の小さな街ですから,カウントダウンもなく,控えめな花火と控えめな爆竹で2020年を迎えました。
(つづく)

↑このページのトップヘ