ブルガリアといえば

何を想像しますか?
Flag_of_Bulgaria
まあヨーグルトですよね。私もそうでした。
正直に言うと,コソボと北マケドニアは面白そうだから行くとして,ゴールはイスタンブールなので経由地としてブルガリアの首都ソフィアに寄ったわけです。ブルガリアは旧社会主義国の一つくらいにしか思っていませんでしたが,これほどの面白い街だったとは。以下そんな内容を書きたいと思います。


夕刻北マケドニアを出たバスは,23時を過ぎた頃にソフィア中央駅横のバスターミナルに到着。
すぐに両替を済ませて,そのまま駅舎へ。
ソフィアからイスタンブールへ向かう夜行列車はネット予約ができず,駅の窓口で買うしかなかったんですね。
窓口では流暢に英語を話せる親切なおばちゃんが応対してくれて,幸運にも翌日の夜行は寝台が空いていました(乗車報告は次の記事にて。stay tuned)。これが空いてなかったらイスタンブールの滞在を短くするか,新たにバスを予約するしかなかったので,本当に助かりました。
この日はそのまま投宿。

フリーソフィアツアー

翌朝。
ソフィアについては本当に何も知らないので(そもそも旅行するまでブルガリアの首都の名前すら知らなかった)有無を言わさずフリーツアーに参加することにしました。
今回のガイドさんは,この春に大学を卒業した後,俳優見習いをしながら副業としてツアーガイドをやっているという方でした。
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最初に案内されたのは聖ネデリャ教会。
この教会は千年の歴史を持っていますが,特筆すべき史実は1925年に爆破されたということです。当時勢力を拡大していた共産主義者によって,将軍の葬儀中に爆破され,多くの人命が奪われ,この教会も崩壊しました。
因みに,このとき幸運にも国王は別の場所にいて助かったそうなのですが,結局第二次大戦後に共産化によって君主制は廃止されることになります。
崩壊した教会は数年後に復元され,今でも現役の教会として門戸を開いています。観光客も入ることができ,私がツアーの後に再訪したときはちょうど礼拝の最中でした。
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続いては聖ペトカ教会。階段を降りていくと洞窟のような小さい礼拝堂があります。
古代ローマ時代の洞窟が時代を経て聖ペトカという11世紀の聖人を祀る教会になっているということで,半地下の珍しい構造も去ることながら,「歴史が積み重なっている」とのガイド氏の弁は,まさにその通りだと思いました。
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聖ペトカ教会から見上げると,聖ソフィア像があります。
この像は市長の肝いりで20年ほど前に建てられたものらしく,聖ソフィア自体は名前以外ソフィア市とあまり関係がないので当初は批判も多かったと。

ガイド氏「でもソフィア市民は受け入れました。何故でしょう?かつて同じ場所には誰かさんの像が…」
客「レーニン像
ガイド氏「そういうことです」

民主化したソフィアには,街の新しいシンボルが必要だったのかもしれません。
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この景色。
私の奥には聖ペトカ教会,向かって右にはモスク,左にはシナゴーグが見えています。左奥にはカトリック教会もあります。
ブルガリアは様々な支配者を経験し,そこでは様々な民族が同居してきました。その共存の象徴がここに現れている,この景色はブルガリアの歴史そのものであると感じました。
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続いて訪ねたのは公共温泉浴場。閉鎖されてから廃墟化していましたが,数年前に修復され博物館として再出発しているとのこと。
ソフィアにも温泉が湧いていたんですね。いや,ハンガリーが温泉の国なのは知ってましたが,ここもそうだったとは…(本当にブルガリアについての知識がない)。実は,古代からソフィアには多くの温泉があり,それがソフィアの発展の原動力の一つでもありました。
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建物の脇には実際に湧いてる温泉。
がっつり腐卵臭するし飲むのは勧めないそうですが,触ってみると確かにちゃんと温泉です。
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続いてはこの立派な広場。
正面が旧ブルガリア共産党本部,左が首相官邸,右が大統領官邸らしいです。の割に雰囲気がゆるくて不思議。
ところで,ちょうど後ろを振り返ると例のソフィア像が建っています。そこにレーニン像が建っていたと想像すると,まさにブルガリアがソ連の衛星国であることを象徴していたような配置と言わざるを得ません。

右側の大統領官邸は,大統領官邸なのに一角がカジノだったりと謎深い建物なのですが,最も面白いのは,建物が四角い回廊になっていることにあります。
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回廊の内側には,聖ゲオルギ教会が鎮座しています。
ローマ時代の4世紀頃に建立されたこの教会は,ソフィアで最古の建築とされています。
何故建物に取り囲まれているのか。宗教が弾圧された共産主義の時代でも,歴史的に極めて重要だったこの教会には手を付けることができず,市民から隠すように官邸で取り囲んで存在を消したらしいです。
オスマン帝国の時代にはモスクに変えられ,共産主義の時代には存在を隠されたこの聖ゲオルギ教会は,ソフィアの生き証人のようなものかもしれません。
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こちらは聖ソフィア教会。
ソフィアの名前の由来にもなったこの教会も,ソフィアを代表する教会の一つです。同じくオスマン帝国期にはモスクにされ,ミナレットを付けられたりしたらしいです。
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続いては黄色の旧王宮。
オスマン帝国下のブルガリアでは19世紀に民族運動が高まり,君主制を掲げて独立しますが,そのときの王宮がこれ。
でも見てほしいのは黄色い王宮ではなく,黄色いタイルの方なのです。
王子がソフィアを一流の近代都市にしようと試みる過程で,街の道路を黄色いセラミックタイルで舗装することにしました。ここで逸話があって,舗装の費用はドイツの銀行から借金して賄われたのですが,市民からの反発が強かったので「黄色いタイルは結婚した王子へのハンガリー王室からの贈り物だ」と嘘を流したところ,今日では嘘の方が史実になってしまったと。
今,英語のウェブサイトなどを参照しながらブログ記事を書いていますが,確かに嘘の方を載せているサイトもある…。

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最後はアレクサンドル・ネフスキー大聖堂。ブルガリア正教の総本山です。
露土戦争によりブルガリアがオスマントルコから解放されたことから,ロシアの殉死した兵士を称えて建設されたらしいです。最上部の鐘はロシアから贈られたとのこと。
なんでも当時バルカン半島各国では教会の高さを競い合っていて,この教会はバルカン半島で最も大きい模様。

余談としてソフィア人は,ソフィアには海がない代わりに山ならたくさんあることを誇りとしており,ソフィア近郊のムサラ山がギリシャのオリンポス山より8m高いのが自慢らしいです。ギリシャ人が悔しがってオリンポス山の頂上に石を積んでくからブルガリア人がそれを崩して行く,とか言ってましたが本当かは知りません。
しかし,ソフィアの市章を見ても,4分割された盾の一角には山が描かれており,ソフィアが山に抱かれた都市であることは分かるでしょう。温泉も湧いてますしね。

ソフィアの地下にあるもの

さて,ここまでソフィアの観光地を回ってきたわけですが,まだ大事なものが残っています。
実はこの下にはローマ時代の遺跡が埋まっているのです。
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近年発掘が進められており,ソフィアの中心部からはローマ時代に建設された城塞都市セルディカの遺跡が次々と姿を現しています。
温泉と地理的優位性に目をつけたローマ人によって政治経済の中心地として発展し,やがて東ローマ帝国の時代にはコンスタンティヌス大帝に愛されるほどの都市になっていた,その痕跡です。


実は,ソフィアはヨーロッパ最古の都市の一つとも言われており,トラキア人が温泉の湧くこの地をセルディカと呼んで住み始めたのが7千年前とされています。
時代は過ぎ,コンスタンティノープルとヨーロッパを繋ぐ交易路として繁栄を享受し,支配者が変わるなかで様々な文化や宗教を吸収し,今のソフィアが出来上がりました。
ソフィアという街自体が歴史の地層と言っていいのかもしれません。温泉という自然の恵み,バルカン半島の中心という好立地がもたらした繁栄の歴史を,この目で確かめることができました。

ここまで知ると「ブルガリア?ヨーグルト?」と言っていた自分が恥ずかしくなるほどです。ガイド氏に「いいと思ったら友達や家族に勧めてくださいね」と言われたので,この記事にまとめました。
ぜひブルガリア,行ってみてください。

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