母島での一泊を終え,父島に戻ってきました。(前回の記事↓)



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ここは二見港から大村集落を貫く目抜き通り。
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集落に入ると,スーパーマーケットや土産屋,飲食店が軒を連ねています。
スーパーには内地から運んできたレトルト食品や生鮮食品に加え,小笠原で採れた野菜なども並んでいます。値段は内地より高いですね。

父島はこんなところ

集落の裏手に丘のような山があるので登ってみました。
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ここからは父島の大村集落を一望することができます。
この異国情緒ある街並みこそ,父島の魅力ではないかと考えます。南洋の趣があり,グアムやパラオと言われても違和感がなさそうでは。
道を行き交う人々も真っ黒に日焼けしていて,むしろ車が品川ナンバーであるほうに違和感あるくらいです。
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東京から約1000km南にある小笠原諸島。
亜熱帯性気候で,一度も大陸とつながったことがないため,固有の生態系が保たれています。
鳥と,鳥が運んできた植物の種や昆虫しかいないため,人間が持ち込んだネコや家畜を除けば四足動物は存在しないようです。
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小笠原の海の青さは”ボニンブルー”として有名で,イルカやクジラの生息する自然豊かな海です。
そもそも小笠原を指す”ボニン”とは,江戸時代に漂着した日本人が無人(ぶにん)島と呼んだことに起因しており,江戸末期頃から欧米から来た捕鯨船の中継基地として使われるようになって欧米にもその名が伝わりました。

父島近海にはウミガメも生息していて,いくつかのビーチは産卵場所にもなっています。
そんなウミガメの卵を保護して人工孵化させ,飼育している施設があったりしてですね…
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エサを支援金代わりに買ってカメに食わせるんですけど,向こうから寄ってくるんですよね。
昔クサガメを飼ってたことがあって,ちょっと思い出しましたね。
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で,そんな父島の自然豊かな海でも泳ぎたいなと思ってビーチを探していて,ここしかないと決めた境浦海岸。
よく見ると湾内に船が沈んでいるんですね。この船は濱江丸という貨物船で,第二次大戦末期に父島空襲で沈没し,そのまま残されているものです。
全然足はつかないところなんですが,泳げる距離なので近くまで行ってみたところ,魚たちの隠れ家になっていてエモエモでした。沈没船は男のロマンですね。
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戦争のイメージは少ない小笠原ですが,今も父島には多くの戦時遺構が残されています。
荒らされているものもあれば,夕日スポットとして観光客が絶えなくなっているトーチカもあります。父島は平地の少ない山がちな島ですが,戦時下に整備されたトンネルが今も現役だったりするようです。

さらに言うと,父島のさらに南には,あの硫黄島があります。戦後,故郷である硫黄島に帰ることができず,父島や母島に住み続けている人もいます。陽気な南の島でも,まだ戦争は終わっていないのかもしれません。
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夕刻,村営バスで訪ねたのは東京都最南端のバス停「小港海岸」。
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河口の景観がもはや内地とは全く違うんですよね。
これでも東京都なんですよ!!
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砂浜で足先まで海に浸かりながらオレンジ色に染まった空を眺めました。
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夜は寿司屋で島寿司や天ぷらをいただきました。
島寿司は醤油漬けにした刺し身を,ワサビの代わりにカラシで握ったもので,伊豆諸島の郷土料理として知られています。
筆者が初めて食べたのは八丈移民が開拓した沖縄県南大東島だったのですが,この寿司屋の大将の口からも南大東の地名が出てきたのでびっくりしました。

(続く)