ちょうど今から8年前の2013年1月。
高校生だった私はソウルにいました。
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マイナス10度にもなるソウルの朝,鍾路3街駅にやってきました。
南北軍事境界線(DMZ)ツアーに参加するため,数日前にツアー会社を通じて国連軍にパスポート情報を送るなど,この日に向けて準備していました。
変動する南北関係の情勢によっては当日キャンセルもあり得るツアーでしたが,無事に催行してくれました。
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ロッテホテルの駐車場から現代ユニバースに乗り込みます。
客は殆ど日本人,ガイドもたどたどしい日本語を操るおばさんで,一応車内は日本のような安心感でした。

南側最北端・都羅山駅へ

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出発してから一時間半ほど走ると,少しずつ車窓が物々しくなり,最初の目的地・都羅山駅に到着しました。この場所は既に民間人統制区域の内側に入っており,韓国人であっても許可がなければ入ることの許されないところです。
この駅は,2000年6月15日の南北首脳会談での合意に基づいて,地雷原の除去や南北京義線の連結などの難工事の末2002年に完成した,南北軍事境界線に最も近い駅です。
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やがては事実上の国境としての機能を果たすことが期待され,広い駅構内には手荷物検査などの設備も整えられていました。
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行き先表示にも「平壌方面」の字が誇らしげに。
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「ここは南側の終着駅ではなく,北側への始発駅だ」と標語が掲げられていましたが,このときは南側のムンサン駅とのピストン列車が一時間に一本走るのみ。
あれから8年,北朝鮮に融和的な政権が誕生したことで大きな期待を背負った都羅山駅ですが,現在も状況は大きく変わっていないと思われます。

南侵トンネル・都羅展望台・臨津閣

続いては,南侵トンネルを見学。
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北韓(=北朝鮮)が韓国へスパイを浸透させるために掘ったトンネルが何本もあり,そのうちの一本である第3トンネルの中へトロッコに乗って入ることができます。
資料館の内部では,解説の随所で韓国側のプロパガンダであると感じさせる内容が登場しており,やはり戦争中の国なのだと実感したことを思い出します。
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こちらは都羅展望台(今は新しい場所に移転した模様)。
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冬の韓国らしく靄で何も見えませんが,この視線の先には北朝鮮があるはずです。
ハリボテの家が並び,機械仕掛けで照明が点いたり消えたりする,あの宣伝村があるはずです。
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展望台からは,韓国軍の監視所も見えます。
2018年の南北会談では監視所の撤去を含む”非武装地帯”の文字通りの非武装化が合意されたはずですが,今はどうなっているのでしょうね。
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この展望台見学の後,いったん民間人統制区域を出て,食堂で昼食のプルコギを食べました。
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昼食後は臨津閣へ移動。
ここは韓国の民間人が入れる最も北朝鮮に近い場所であり,平和ランドなる遊園地も併設されているなど,韓国人にとって観光スポットにもなっている場所です。
一方で,韓国戦争(=朝鮮戦争)で生き別れた家族がいる人々にとっては,愛する人に最も近づける場所でもあるのです。
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臨津閣の目の前は南北を分ける臨津江(=イムジン河)が流れ,川は鉄条網で覆われていました。



共同警備区域「板門店」へ

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いよいよ板門店こと共同警備区域へ。
その前に,国連軍のキャンプ・ボニファスにあるビジターセンターで誓約書に署名しました。
誓約書は「敵側の行動によって死亡することがあっても韓国軍・国連軍は責任を負わない」といった内容だったと記憶しています。
ここからはバスに国連軍(米軍)の兵士が同乗します。
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そしてついに,この場所へ来ることができました。
静寂の中,空気がピンと張り詰めているのを感じました。
われわれの背後には韓国側の建物「自由の家」が,目の前には停戦委員会本会議場が,そして奥には北朝鮮側の建物「板門閣」が見えています。
ここではまだ冷戦が,そして戦争が終わっていないのだということを強く実感させられる場所でした。
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向かいの板門閣では,朝鮮人民軍の兵士が双眼鏡でこちらを見ているのが分かりました。
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本会議場の中では,サングラスをかけた韓国軍兵士に触らなければ,自由に動き回ることができました。
触ると亡命の意思があるとみなされて射殺されるとか何とか言っていたように記憶しています。
ちなみに彼らがサングラスをかけているのは,表情や目線を敵に読み取られないようにするためです。
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本会議場の中に限って,境界線を越えることが許されていました。
砂利が南側,砂が北側です。
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板門店からキャンプ・ボニファスに戻る途中,車窓から見えたのは「帰らざる橋」。
韓国戦争休戦後,この橋で捕虜交換が行われ,渡れば二度と帰れないと言われたことから,いつしかこう呼ばれるようになりました。
この橋を渡った後,死ぬまで故郷の土を踏むことができなかった人々がいました。

バスは無事に民間人統制区域を抜け,一路ソウルへ走り,ツアーは終了となりました。

ツアーを終えて

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板門店から僅か1時間半,距離にして50kmのソウルに戻ると,そこは東京と何ら変わらない大都市がありました。
韓国人でも,分断や戦争を意識する人は少なくなってきていると聞きます。
しかし,確かにここにはリアルな戦争が存在していました。
さらに,あれから8年が経っても依然として統一への道のりが長いままであることに,問題の難しさを痛感させられます。
長らく平和な暮らしを享受する日本人として,大きな衝撃を受けた旅でした。