読者の皆様,残暑お見舞い申し上げます。
外出自粛で暇を持て余しているので,青ヶ島なる史上最強の離島の思い出を皆様と共有したいと思います。

青ヶ島へのアクセス

青ヶ島は東京都八丈支庁に属しており,八丈島から南へ60kmの太平洋上に位置しています。
アクセスは八丈島から週4日運行される定期船と,定員9名のヘリコプターのみ。
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今回は船でのアクセスで一泊二日の渡航を試みることとし,東京港竹芝桟橋から橘丸で八丈島を目指し,底土港で伊豆諸島開発あおがしま丸に乗り換えました。
この「あおがしま丸」は新造船でありながらも就航率が年60%と欠航が多く,海路での青ヶ島到達を困難にさせる大きな要因となっています。
この日は見ての通りの快晴で風も凪でしたが,条件付き就航(出航するが接岸を保証しない)でした。訝しみながら乗船したわけですが,その理由は島影が見えてくると明らかになったのでした。
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三時間ほど太平洋の荒波に揺られ,目の前に現れたのはいつぞやの八丈小島を彷彿とさせる切り立った崖でした。
ここに来てはっきりと,青ヶ島が真の遠隔離島であることを思い知らされたのです。距離で言えば小笠原諸島の方が遠いかもしれませんが,父島には欧米の捕鯨船が中継基地としたほどの天然の良港があり,硫黄島にも立派な滑走路があります。
この島は間違いなく日本で最もアクセスの厳しい島なのではないか。
八丈島が離島偏差値60,小笠原諸島が75とすれば,青ヶ島は80あるかと思います。
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崖と海に挟まれたほんの少しの土地,それが青ヶ島の三宝港でした。
崖はコンクリートで徹底的に固められ,荒波を凌ぐため大量のテトラポッドが敷き詰められています。これだけ晴れていても護岸には白波が絶えず打ち付けており,これが「条件付き就航」の正体でした。

青ヶ島を歩く

大揺れする船が無事に接岸しても,心が休まることはありません。青ヶ島の本領はここから発揮されたのです。
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港のターミナルは落石防護施設を兼ねたシェルター同然の作りで,自販機の一台もありません。
金属部分は赤く錆びており,海が荒れればここまで波が打ち付けてくるであろうことは想像に難くありません。
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三宝港は漁港としても使われていますが,漁船を停泊させておくことができないため,高台に船着き場を作り,クレーンで海に降ろして出漁しているようです。

そして,港から集落へ至る道は無理やりに崖から掘り進められた単線のトンネルしかありません。
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レンタカーを借りていなかったので,この長いトンネルを徒歩で進んでいきます。
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港から集落へ至るもう一つの道は崖沿いに続いていますが,こちらは道路が崩落したため交通止めになっていました。
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青宝トンネルを抜け,しばらく歩いて二本目の平成流し坂トンネルを抜けると,ようやく集落の入り口が近づいてきます。
島の構造上,大きく遠回りしながら集落を目指すことになります。徒歩では距離以上に時間がかかりますが,道が非常に狭隘でアップダウンが激しいため,島に慣れていない人間がレンタカーを運転するのは危険だと思います(私個人は借りなくて正解でした)。
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離島名物,島唯一の信号機が見えれば,もう集落の中心部です。
青ヶ島には小中が一体化した学校がありますが,高校はないため,やはり島の子どもたちは八丈島や内地の高校へ進学することになります。ところで青ヶ島は日本で最も人口の少ない市町村ですが,島外からの教員や建設作業員の人口比率が高いため,比較的若い世代は多いようです。
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宿に荷物を置き,二重カルデラ構造が最もよく見える「大凸部」まで登ってみました。
この特異的な景観により近年は欧米系メディアでも度々取り上げられ,コロナ以前は外国人観光客も少なからず訪れていたとのことです(アクセスの困難さも宿のキャパもあるため人数としては多くなかったものの)。
中央のカルデラの草が剥げているあたりには「ひんぎゃ」と呼ばれる地熱が湧いていて,島民が集うサウナや観光客が使える蒸し器があります。
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「還住像」。かつて大噴火で全島避難した半世紀後,島民を率いて還住を指揮した人物は青ヶ島のモーセと呼ばれ,島の英雄とされています。
近代まで人が住むことの出来なかった絶海の孤島,例えば大東諸島や小笠原諸島などでも,島の開拓者は今でも尊敬を集めていることが多いように思われます。
交通手段の整備や農業・漁業の発展など,科学技術なくしては文化的な生活の成り立たない島であることは,青ヶ島も同様です。八丈小島では60年代に全島移住が行われて無人島となりましたが,僻地ゆえに戦後しばらく参政権もなかったようなこの島も,同じ道を辿っていた可能性は十分にあったと思います。
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夕飯では,伊豆諸島名物の島寿司をいただきました。父島で食べたときも,南大東島で食べたときも,等しく感慨深い気持ちになる郷土料理です。
なお,島には食堂など存在しないので,宿で取る食事か島で唯一の商店で買ってくる惣菜やカップ麺が全てとなります。
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翌日。
寄り道しながら港まで歩いていき,船を待ちます。
この日も条件付き就航でした。実は前日,島唯一の売店で「来ちゃったのね。今日行ったら戻って来られないかもって八丈島で言われなかった?」と脅されていたのです。私はここ数日の間,天候,波高,風速を調べて船の就航状況と照らし合わせ,この2日は必ず就航すると確信して来ていたので,島の人の欠航予想には正直ビビりました。
この日の朝も三宝港の波高は接岸できるレベルだったので,信じて待ってました。
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さて無事に船は姿を見せましたが,確かに,明らかに前日よりは波が高く,船が揺れています。地上係員がタラップをかけるタイミングを窺いますが,なかなか船体の揺れが収まりません。
ある先人のブログ記事に「船に乗って出航するまでは安心できなかった」とあり,まさにこの心境かと膝を打ちました。
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そういうわけで,この絶海の孤島の島影を見て,初めて私も安堵の溜息を漏らすことができたのでした。

また,島の電波が入るうちに急いで帰路のANA八丈羽田便を予約しておきました。というのも,青ヶ島に入島したらいつ戻れるか分かりませんでしたから(この2日は就航すると確信を持っていたとはいえ),八丈からの飛行機も船も予約せずに来ていたのです。
行程が決められないほど訪問が難しい離島は,日本広しといえど青ヶ島くらいのものです。自信を持って,日本最難関の遠隔離島であると申し上げたいと思います。
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さて,八丈島こそ長く滞在して泳いだり美味しい料理食べたりして楽しみたいところですが,底土港からタクシーで八丈島空港に移動し,八丈島滞在2時間ほどで帰京しました。

青ヶ島上陸の注意点

皆様もお分かりいただけたかと思いますが,青ヶ島は普通の常識が通じる島ではないため,訪問にあたっては旅行客も遵守すべきルールが存在します。

宿を予約せずに入島してはならない

島内での野宿はもちろん,上陸後の宿探しも認められていません。港で怪しいムーブをかましていると警官のお兄さんに「宿は予約して来られてますよね?」と職質されます。

交通手段は島民優先

確実かつ安く上陸するために,ヘリコプターを予約しておいて船が就航決定したら当日キャンセルして船を使う裏技を使う旅行者がいますが,本当に移動を必要としている島民に多大な迷惑がかかることを理解してください。

スケジュールは余裕を持って

船は一度欠航すると一週間は来ないと思った方がよいです。ヘリは大体数日先まで予約が埋まっているので,急病とかでも無ければ割り込むことは不可能です。島自体は一日あれば大方回れるので,数日何をして過ごすか考えてから行った方がよいと思います。勉強道具を持っていくとか…


皆様もルールを守って,ぜひ青ヶ島を訪ねてみてください。
(おわり)